木と人

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(初めて熊本県天草下島をドライブしました。青と緑のコントラストの美しい海に驚きました。沖縄の万座毛の様でした。)


「一本一本が木の個性に合わせて仕上げられてますから、ひとつとして同じものはありません。強い木は強く、弱い木は弱いなりにうまく木の質を見抜き、それぞれを使えるところに使ってます。
 今のようになんでも規格に合わせて、同じようにしてしまうのは、決していいことではないですな。人も木も大自然のなかで育てられますのや。
 それぞれの個性を生かしてやらなくちゃいけませんな。そのためには、個性も見抜いて、のばしてやる。 (中略) 構造物は社会です。斗や皿斗や柱は個人個人の人間ですな。それぞれが、うまく自分の力を発揮して、組み合わせられて崩れない形の良い建物ができるわけですな。もし柱の力が強すぎたら、柱の先端が屋根から上に突き出るというようなことになり、ものになりまへんな。」 - 西岡常一


「これらの建物の各部材には、どこにも規格にはまったものはありませんのや。千個もある斗にしても、並んだ柱にしても同じものは一本もありませんのや。よく見ましたら、それぞれが不揃いなのがわかりまっせ。どれもみんな職人が精魂を込めて造ったものです。それがあの自然の中に美しく建ってまっしゃろ。不揃いながら調和が取れてますのや。すべてを規格品でみんな同じものが並んでもこの美しさはできませんで。不揃いやからいいんです。
 人間も同じです。自然には一つとして同じものがないんですから、それを調和させていくのがわれわれの知恵です。」
- 西岡常一


「そして逆に今度は使いやすい木を求めてくるんですな。曲がった木はいらん。捻れた木はいらん。使えないんですからな。そうすると自然と使える木というのが少なくなってきますな。それで使えない木は悪い木や、必要のない木やというて捨ててしまいますな。これでは資源がいくらあっても足りなくなりますわ。そのうえ大工に木を見抜く力が必要なくなってくる。必要ないんですからそんな力を養うこともおませんし、ついにはなくなってしまいますな。木を扱う大工が木の性質を知らんのですから困ったことになりますわ。」 -西岡常一


上記は西岡常一さんの著書「木に学べ-法隆寺・薬師寺の美」(2003)と「木のいのち木のこころ-天・地・人」(2005)の中の言葉です。西岡さんは最後の宮大工棟梁と呼ばれた方で(1908-95)、昔の宮大工は、一本一本異なる木の癖を見抜き、それらを組み合わせることで、木を上手に、長く生かす心構えを持っておられ、その象徴的な建造物が法隆寺だとおっしゃっています。


今の数字だけを追うアメリカの公教育にまるで警笛を鳴らしてるかのような言葉です。


結局はアメリカ公教育に投資している富裕層は、自分たちの子供をコンピューター化されたテストまみれのアメリカ公立校に入学させず、シュタイナーや他のオルタナティブ教育を受けさせている。


Appleのスティーブジョブズも自分の子供達にはスマホを与えなかったそう。


人間の教育に何が一番大切なのか皆気付いているのに、なぜ今のアメリカの公教育はこんなに悲惨な現状なのか。。。




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