本来の学び

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九州北部豪雨で亡くなられた方々の御冥福、依然として行方が不明とされている方々の早期発見、そして家を被災された方々や流された地域などの早期復興を心よりお祈り申し上げます。

昨年春の熊本地震に続き、今回は福岡・大分の集中豪雨、本当に胸が痛みます。
自然の美しい九州ですが、その自然の脅威という面もここ立て続けに実感しています。

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最近息子たちを見ていて「人間はこうやって本来学んでいくものなのだろうな~」と思うことが多々あります。


今は学校にも通っておらず、習い事も無し。
有り余った時間を贅沢に自分の興味の向くままに使い切る。


日本の小学校の校長先生も幼稚園の先生も通学通園の最終日に「残りの日本滞在期間は子供達のやりたいことを好きなようにやらせる予定です」と言うと、「退屈するよー、学校や幼稚園に行ってないと」と口々に言われました。


学校や幼稚園は子供達が「どのように時間を過ごすのか」「何を学ぶのか」を予め計画してくれて、子供達はそれに従う。学校や幼稚園が子供たちを学習させてくれ楽しませてくれますから。


これからそういうお膳立てが無い我が子達も、することが無くて退屈するから、日本滞在終わり間近まで小学校や幼稚園に通わせていた方が良いのではという提案があったのです。より色々なことが学べるし、日本語も上達するからという御厚意からでもあります。


けれども、実際は学校外の方が学校に通うよりも学びが加速することがあるのですね。



日本の学校に通わせてもらっている間、長男の嫌いな科目1位は「国語」でした。
点数が全く取れない漢字テストが大っ嫌いで、音読も嫌いでした。
漢字の練習と国語の教科書の音読は毎日の宿題でした。


でも、自由になった今、近所の町民図書館から本を毎週5冊借りてきて、長々とソファーに座り日本の科学マンガを読んでいるんです。「おかあさん、ちょっと来て、ここ面白いから。ほら~」と、そこに書いてある日本語を私に読み始めるのです。「ほら、面白いでしょ?」と。


明らかに、学校の宿題として出る音読の量よりも多く複雑な内容なのですが、マンガということもあり漢字にも抵抗なく(ふり仮名もありますし)楽しんで読んでいるのです。



「読め」と言われて読むのではなく、子供の内から「この本を読みたい」という欲求があれば、すらすらと自分で読んで学んでいく。その過程で自然と必要な読解力はついていくなだなと思いました。


次男は次男で、家の近所の看板の漢字を庭から見ながら、紙に書き写していくことにしばらくはまっていました。
絵本の中でもやはり自分にとって目ぼしい漢字を見つけ、小さなノートに書き写していく。
漢字自体は3、4年生レベルで、カタカナもひらがなもまだそんなに書けないのに、楽しいのでしょうね。


それを目の前に、本来人間とはこういう風に学んでいくものなのだろうなと一人で考えていました。


学んでいる顔がとても生き生きとしているのです。
まるで小さな幼児が夢中で何かで遊んでいる時のように。


海でタコを取るためのヤス(スピアのようなフォークのようなもの)が無いので、自分で棒を細く削って作っているあの真剣な表情。


自分自身で「やりたい」「やるぞ」と頭の中で自分で考えながら決断しながら、物事を遂行する様子。


次から次へ自分がやりたいことをやりながら、こちらが学びをお膳立てする必要もないのです。


まず、既存の学校生活の中では得られない経験だと思うのです。


「敏感期」なんて言葉も安っぽく感じる程のそれぞれの子供の内にある「好奇心」。
木を見ずに森を見て、子供たちの力を信頼して小さな枠を逸脱した学びを実行できる時間と場所を与えると、それぞれの花を自然と咲かせていくのだろうなと思いました。


そう考えると今の日本の教育も世間一般の親も、今一度子供の学びについて考え直す必要があるのでしょうね。




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(4月上旬に子供達と植えた小さな苗がこんなに立派な実りをもたらしてくれました。)


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