「平均」を超えて 続き

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(次男5歳の時のカプラ作品です)


前回の続きです。


トッド・ローズ氏は高校中退しますが、individualityを学びにハーバードに入学します。
しかし、心理学や脳科学の他の生徒と同じように、大学課程では人々について研究する為に結局はグループ統計を使用することを学ばせられたそうです。統計学のジュディ・シンガー同大学教授の教育助手をしていた時にIndividualityの話になり、彼らが使う統計は全て個々のことを言及しているわけではなく、あくまで一般の人々についてのものであると聞いたことが心に残ったそう。
それをローズ氏が肌で理解したのが、彼がリーディングで困難に面している子供たちを研究していた時でした。


「こういう(リーディング困難な)子供たちがどう指導されるべきかという研究があるだろう。けれど実際に数分でもその子達と時間を過ごすと個々の違いを目の当たりにする。」 -トッド・ローズ


ローズ氏はこのことについて彼のメンターであり個々と脳科学の先駆者であるカート・フィッチャー氏に「実際の子供たちの個々の違いとリサーチが言及するものの違い」についての意見を乞います。

すると、フィッチャー氏は人というものがが複雑な存在であるからということなどと一般的な答えをくれる代わりにこう答えたそう。問題の根源は平均の中にある私たちの信念にある、つまり平均がどういうわけか私達に個々について私たちが知らなければならないことを教えてくれる、という信念の中に(つまり平均がすべての答えを握っていると)あると。


学校の中では、私たちのほとんどが空軍機の適応性を心配する必要はないが、「教室」という経済のコックピットについて考え直してみる必要がある、とローズ氏は言う。私達は教育にたくさんのお金を注ぎ込んでいるにも関わらず大した結果を出せていない。しかし、空軍のようにデザインを見なおす代わりに、私たちはそれを悪い教師、怠慢な生徒達、親のせいにする。

生徒たちは年代順(生まれた順)を元に学年を決め、カリキュラムや教科書は「年齢適応」として綴られている。SATやIQテストは架空の平均的な生徒との比較を元にしてデザインされている。小学校の教室を歩いて見ると、そのデザインはワンサイズの机、ワンサイズの椅子、ワンサイズのテーブルと「平均的な」子供たちの為に作られている。


けれど、ワンサイズの操縦士がいないように、ワンサイズの生徒もいないし、ワンサイズの学びもない。
「人間は(皆)完璧に同じではない。平均的な生徒なんていないのだ。みんな違うのだ。」


これを理解していないという危険性は、すべての生徒に手を差し伸べないということを続けるという意味だ。前述のフィッチャー氏は現代の学校は基本的に80%の生徒を落第させていると言うが、読解力が無い生徒は物理の才能があるかもしれない、しかしその才能は数学が教科書やワークシートの読解を必要とすることから失われるかもしれない。


ギフティッドの生徒達は授業に飽きて最低限の学び、平均的な生徒の為にデザインされた内容しかやらなくなる。結果として勉強に支障が出たり素行に走る生徒達が出るし、取り残されたり結果的には退学する生徒達もいる。ローズ氏はテッドトークでアメリカでは毎年120万人の高校生がドロップアウトし、その約4%、5万人はギフティッドの生徒達だと言っている。そして、たとえ卒業まで行けたとしてもその潜在能力が花開くことはないとも。


ざっと前回と今回の2回に分けて訳したのは、下記のサイトからです。


Beyond Average


この記事は私がなんだか頭の中にもやもやと抱えていたものはクリアーにしてくれました。
いつもどこかで「研究によると」などの言葉が出てくるとに懐疑的になるのが、私一人ではないんだなと救われた気持ちでした。


「研究によると」の情報と「目の前の子供たち」のギャップをいつも心に留めて、子供たちの学びや成長を観察していきたいと思いました。

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