「平均」を超えて

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(ストローロケットをアレンジしている次男。ストローの先につける粘土の位置や量、羽の形 素材、重さ、位置、等を考えながら何度も何度も実験を繰り返していました。この人は毎日好奇心爆発中です。寝るまでずーっと何か作ったり実験してます。母として彼をどうサポート、伸ばしていけるかを模索中です。)


"We talk so much about the individual, but there's such a divide what we say we believe and what we actually do."
私達は個人について多くの議論をするが、私たちが言葉にする心情と実際の行動には大きな差がある。

これはハーバード大学院教育学講師のトッド・ローズ氏の言葉。
私達は個人を大切にすることや個人の能力や可能性を見出すことが大切だというが、そう信じているにも関わらず、実際にそれに対して何もしない。言っていることとやっていることが違う、と。

これは私にも耳が痛い言葉です(;´Д`)

アメリカ公立小学校のシステムは知識重視のテスト主体。まるでコンベアーベルトの上に次から次へとやってくる箱に知識というモノを詰めているだけ。ちょっと変わった「不良品」はコンベアーベルトから外して、また黙々と箱詰めの作業が行われる。
そんなアメリカ公立小学校を批判しておきながら、私自身の子達は公立小学校に通わせている。

これについては私自身毎日の中で葛藤があるのですが、それはまた別の機会に綴ることにして。

前述したローズ氏、実は高校を中退し、最低賃金で色々な仕事を経験し、10代で妻子を授かり、現在はハーバード大学院教育課で講師をしている人。本人曰く、自分は「平均(アベレージ)」ではないと。

そもそも、その「平均」って何?
平均的な教授って?
平均的な労働者って?
平均的な兵士って?

じゃあ、平均的な「生徒」って何なの?

よく聞きませんか、「彼は平均的な生徒だから」って。「平均的な生徒」って詳細に語ればどういう生徒なの?

生まれた時から人は「平均」という架空の物差しで測られている。

元々この「平均」という考え方は産業革命以後の工場労働者育成の為に都合の良いものであり、その時代に作られた学校にも用いられたそう。学校の目的は個性を重視したり、クリエイティビティを育むためでもなく、子供たちを産業社会の中の標準と言われる仕事に就かせるための準備だった。

それから人々は「平均」=「皆/大半」、その「平均」からの少しの違いから自分が何者であるかを表現し始めた。「君はギフティッドだから、(平均の人と比べて)そんなにサポートもいらないよね」という感じで。

1950年代からアメリカ空軍はこの「平均」という概念について考えてきた。
その時代パイロットは空軍機の操縦に問題を抱えていて、始めは原因はパイロットの誤操作や訓練に問題があると考えられていた。しかし実際の問題はコックピットにあった。コックピットのデザインが一種類しかなく、1920年代は「平均的なパイロット」を目安として1種類のみだった。

空軍はのちの数十年の間にパイロットの大きな体型の変化が生じ、その「平均的なパイロット」のサイズを変更しなければいけないとの結論に達した。空軍はハーバード大学卒の中尉の力を借り、4000人のパイロットをコックピットにそれぞれ収まるようなサイズを銅の長さや胸囲など10つの寸法を測った。

1950年代の「平均的なパイロット」の数字を元にコックピットをデザインしなおせば、コックピットでの飛行操作の問題は解決されると考えられていた。多くのパイロットはほとんどの寸法の平均的範囲に入ると推測されていた。

結果は「ゼロ」だった。

例えば10ある寸法の内の3つだけを利用しても、3.5%以下のパイロットたちしか「平均」内に収まらなかった。
長い腕を持つパイロットは長い脚も持っていた。同じ「平均」身長(5.9フィート)でもすべてのパイロットが同じ胸囲や頭の大きさであったわけでは無かった。

そして空軍は、もしそれぞれのパイロットがそれぞれの身体的特徴を持ち、コックピットが「平均」のパイロットに合わせて作られていたとしたら、結局空軍機は誰の為にもデザインされていないということに気づいた。

そして、「平均」という概念を壊し、身体的な特徴が違っても調整の出来るコックピットをデザインするようメーカー側に強制した。


長くなったので、続きは次回に書くことにします。

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